『名称性の剥奪』〜モデルを見る時④〜

「手」は、どこからどこまでを指すのか 手はどこからはじまっているのか。 すばらしい手だった。 皮膚は荒れてがさがさとしていた。

これはただの現象で

そのものの素晴らしさを損なうものではない

私は、首筋から広義の いわゆる「手」は始まっていると思う。 肩からじゃない。 手を強く握ると鎖骨のくぼみが凹むように、 (本当は、全身が繋がるのだけど、、長くなるので割愛) 「手」のみを作ろうとすると おかしくなる。 手がおかしいなと思ったら、 手に問題はなく、別のところに問題があったりする。 だから、 よくデッサンをするときに、 名称性を剥奪しなさい と言われている。 言葉で、見方が囚われる。 名前を外すと、見やすくなる。 これは、デッサンに限らない。 首筋から鎖骨と肘、人差し指を点で結ぶと とても素晴らしいラインがでてきた。 素晴らしいなんて簡単な言葉で言いたくないけど きれいだったな そこに意識が、筋肉の信号を生み、動き、その上に外界との境界を攻防した皮膚がのり、その上に化学繊維の服のシワが流れる。 とってつけたようではない仕草、モデルの自分の都合で放たれる 私は舌を巻くほど

こんな綺麗なものは、つくれない。 

いつかまた、挑戦してみたいけど

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