N先生は日本画先生だ。「しまうち自体にはなにもなく、周りにふわふわと何か飛んでいるのを捕まえている」という言葉から、「ふわふわとした何か」ってなんだろう。となんとなく過ごしていた。
ある日、学芸員さんに中国絵画についての本を勧めてもらって読んでいたら、それは、その「ふわふわした何か」は中国絵画でいう「気」なのではないかという説に至る。
で、「気」とは
「世界は気でできていて、その気の働きにより、花が咲き、葉が色づく、人間もまた気でできていて、心もまた気の働きにすぎない」
「気は造形力をもち、世界全体が気の造形力そのものであり、人間はその気自体の造形力をつかって絵画をつくりだせばよい」
そして、私は詩を書いていたのらしいのだが、(過去の投稿にさかのぼるとわかる)中国には詩画一如という考えがあって、というかたしかに、絵の中に字が書いてあることがよくあるよね。
絵を描く人は詩を書くことができるはずだし、
絵の中にすでに詩があるし、詩人の詩の中には絵がある。
といった考え方だそうだ。
めっちゃわかるわ。